メニエール病の原因は「ストレス」と言われた|我慢し続けた50代が、体の悲鳴に気づくまで

気づいたときには救急搬送されました。50代・メニエール病「一番の原因は、ストレスです」と書かれた、朝焼けの空のアイキャッチ

ある朝、私は、救急車で運ばれました。

前の日から、体の異変は感じていたんです。それでも私は、仕事に行きました。

運ばれた病院でつけられた診断は、メニエール病。そして、お医者さんに言われたのが、このひと言でした。

「一番の原因は、ストレスです」

なぜ私は、そこまでして仕事に行ったのか。この記事では、あの頃の私が抱えていたことと、体が教えてくれたことをお話しします。

※メニエール病の原因は人それぞれです。この記事は、あくまで私自身の体験談です。

居たくない職場に通い続けていた朝を思わせる、曇り空
目次

居たくない職場に、通い続けていました

当時、私は転職したばかりでした。任されたのは、退職される方の引き継ぎです。

その職場を仕切っていたのは、事務の女性でした。私は、この女性が苦手でした。

その人のひと言で、私の仕事の内容が、簡単に変わってしまうんです。一度ではなく、何度もです。本来なら、係長が主任に相談するようなことも、なぜか、その事務の女性に相談していました。

おかしい。そう思っていました。たぶん、周りの人も。

でも、誰も言いませんでした。私も、言えませんでした。

事務の女性のほかに、もう一人、苦手な女性がいました。入社当時、私は職場になじもうとして、必死でその人の機嫌を取っていたんです。

ある日、仕事のことで質問をすると、返ってきたのは、ものすごく面倒くさそうな、怒ったような態度でした。

「あ、嫌われてる」

それから、その人に近づくのが、怖くなりました。

毎朝「あの職場に行くのか……」と思うと、つらくて仕方がありませんでした。

「あそこに居たくない。」そう思いながら、私は、通い続けました。

家に帰っても、気は休まりませんでした

家に帰っても、気は休まりませんでした。

義父母との、二世帯同居。義母の顔色をうかがい、何か言われないように、身構える。

職場でも、家でも、私はずっと、誰かの顔色を見ていました。

自分がどうしたいか。そんなこと、考えたこともありませんでした。

そして、あの朝が来ました。

目が覚めたら、頭がグルグル回っていて、起き上がることができません。

「仕事があるから」と、夫は私を残して出かけていきました。

しばらく横になっていたら、少し落ち着いてきたので、「一人でなんとかしよう」と、ふらふらと重い足取りで出勤したんです。

心のどこかで、「もう少し、心配してくれてもいいのに」と思いながら。

そして、次の朝。前の日と同じグルグルが起こりました。

今度は目を開けることもできず、1ミリも動けません。

見かねて夫が救急車を呼んでくれて、次男が付き添ってくれました。

診断を告げられた日の静けさに重ねた、夕方の水辺

「一番の原因は、ストレスです」と言われて

運ばれた病院で、診断が出ました。メニエール病でした。

3週間の入院。右耳の聴力は、戻りませんでした。

そして、お医者さんに言われたのが、あのひと言です。

「一番の原因は、ストレスです」

言われてみれば、思い当たることしかありませんでした。

波風を立てないように。悪く思われないように。何かあれば、自分を責める。ダメな人だと思われたくない。悪者には、なりたくない。

ずっと、そうやって生きてきました。

実は、倒れる半年ほど前。健康診断で、耳の聞こえが悪いと指摘されたことがありました。

でも、病院には行きませんでした。自分のことは後回し。それが、当たり前になっていたんです。

あの聞こえの悪さは、体からの最初の知らせだったんだと思います。

体は、もう限界だ、と言っていたんですね。

聞こえていなかったのは、耳だけではありません。私は、自分の体の声も、聞こうとしていなかったんです。

自己受容をしても、すぐには何も変わりませんでした

入院してすぐ、勤め先に電話をして、「退職します」と伝えました。

電話を切った瞬間、すうっと、体が軽くなりました。ああ、私、こんなに無理をしていたんだ。これで、少しは休める。そう思いました。

でも、退院した、その翌日。息子が、体調が悪いと、学校を早退してきました。

そこから息子は、学校に行けなくなったんです。

私の頭も、まだふわふわしたまま。体調も戻らないうちに、次のことが、もう始まっていました。

どうしたらいいのか分からず、ネットで検索していたとき、初めて知った言葉が「自己受容」でした。

「自分の気持ちを、良いも悪いもなく、そのまま受け止めること。」

だから毎日、言葉どおり、少しずつやってみました。

でも、すぐには何も変わりませんでした。

頭では、分かっていたんです。頭では。その反面、心のモヤモヤは、晴れることがありませんでした。

考えてみれば、当たり前です。受け入れられないから、苦しんでいる。その私に「受け入れましょう」と言われても。

長い間、ガチガチに固まってきた心と考え方です。すぐに変われるはずが、ありませんでした。

それに、義母は変わらない。夫も変わらない。私を取り巻く環境は、何ひとつ、変わっていませんでした。

自分の気持ちをいくら受け止めても、目の前の相手は変わらない。変わらない人たちの中で、私は、どうしたらいいんだろう。

答えが見えてくるまでに、あまりにも時間がかかりすぎる。正直、そう感じていました。

悲鳴を上げていたのは、心のほうでした

自己受容は、私にとって、大切な最初の一歩でした。私の内側は、時間をかけて、少しずつほどけていきました。

でも、目の前の毎日は、待ってくれません。

そんな時に出会ったのが、自己受容とは、また別のものでした。

それを知ったとき、ようやく、すとんと腹に落ちたんです。

あの突然のめまいは、体が悲鳴を上げたんだと、ずっと思っていました。

でも、今は分かります。本当に悲鳴を上げていたのは、心のほうでした。

心の声に気づけなかった私に、体が代わりに教えてくれたんです。

「別のもの」が何だったのかは、また改めてお話しします。

自分の声が聞こえるようになった今を思わせる、光の差す青空

右耳は聞こえにくいまま、でも

最初の一歩だった自己受容は、今では、私の土台になっています。

あの頃が嘘みたいに、心が軽くなりました。人に振り回されることも、かなり減っています。自分の中に、一本の芯ができたと感じます。

もちろん、何でも言えるようになったわけではありません。今でも、気になることはあります。

右耳は、今も聞こえにくいままです。

でも、その分、自分の声は、前よりずっと、聞こえるようになりました。

あの時、体は、もう限界だと言っていたんですね。あの日の悲鳴がなかったら、私は今も、自分の声を聞かないまま、生きていたかもしれません。

もし今、毎日がんばりすぎて、自分のことを後回しにしている方がいたら。少しだけ、自分の声に、耳をすませてみてください。

同じような経験があれば、よかったらコメントで教えてください。

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【この記事のもとになった動画はこちら】

気づいたときには救急搬送されました。50代・メニエール病「一番の原因は、ストレスです」と書かれた、朝焼けの空のアイキャッチ

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