ある朝、私は、救急車で運ばれました。
前の日から、体の異変は感じていたんです。それでも私は、仕事に行きました。
運ばれた病院でつけられた診断は、メニエール病。そして、お医者さんに言われたのが、このひと言でした。
「一番の原因は、ストレスです」
なぜ私は、そこまでして仕事に行ったのか。この記事では、あの頃の私が抱えていたことと、体が教えてくれたことをお話しします。
※メニエール病の原因は人それぞれです。この記事は、あくまで私自身の体験談です。

居たくない職場に、通い続けていました
当時、私は転職したばかりでした。任されたのは、退職される方の引き継ぎです。
その職場を仕切っていたのは、事務の女性でした。私は、この女性が苦手でした。
その人のひと言で、私の仕事の内容が、簡単に変わってしまうんです。一度ではなく、何度もです。本来なら、係長が主任に相談するようなことも、なぜか、その事務の女性に相談していました。
おかしい。そう思っていました。たぶん、周りの人も。
でも、誰も言いませんでした。私も、言えませんでした。
事務の女性のほかに、もう一人、苦手な女性がいました。入社当時、私は職場になじもうとして、必死でその人の機嫌を取っていたんです。
ある日、仕事のことで質問をすると、返ってきたのは、ものすごく面倒くさそうな、怒ったような態度でした。
「あ、嫌われてる」
それから、その人に近づくのが、怖くなりました。
毎朝「あの職場に行くのか……」と思うと、つらくて仕方がありませんでした。
「あそこに居たくない。」そう思いながら、私は、通い続けました。
家に帰っても、気は休まりませんでした
家に帰っても、気は休まりませんでした。
義父母との、二世帯同居。義母の顔色をうかがい、何か言われないように、身構える。
職場でも、家でも、私はずっと、誰かの顔色を見ていました。
自分がどうしたいか。そんなこと、考えたこともありませんでした。
そして、あの朝が来ました。
目が覚めたら、頭がグルグル回っていて、起き上がることができません。
「仕事があるから」と、夫は私を残して出かけていきました。
しばらく横になっていたら、少し落ち着いてきたので、「一人でなんとかしよう」と、ふらふらと重い足取りで出勤したんです。
心のどこかで、「もう少し、心配してくれてもいいのに」と思いながら。
そして、次の朝。前の日と同じグルグルが起こりました。
今度は目を開けることもできず、1ミリも動けません。
見かねて夫が救急車を呼んでくれて、次男が付き添ってくれました。

「一番の原因は、ストレスです」と言われて
運ばれた病院で、診断が出ました。メニエール病でした。
3週間の入院。右耳の聴力は、戻りませんでした。
そして、お医者さんに言われたのが、あのひと言です。
「一番の原因は、ストレスです」
言われてみれば、思い当たることしかありませんでした。
波風を立てないように。悪く思われないように。何かあれば、自分を責める。ダメな人だと思われたくない。悪者には、なりたくない。
ずっと、そうやって生きてきました。
実は、倒れる半年ほど前。健康診断で、耳の聞こえが悪いと指摘されたことがありました。
でも、病院には行きませんでした。自分のことは後回し。それが、当たり前になっていたんです。
あの聞こえの悪さは、体からの最初の知らせだったんだと思います。
体は、もう限界だ、と言っていたんですね。
聞こえていなかったのは、耳だけではありません。私は、自分の体の声も、聞こうとしていなかったんです。
自己受容をしても、すぐには何も変わりませんでした
入院してすぐ、勤め先に電話をして、「退職します」と伝えました。
電話を切った瞬間、すうっと、体が軽くなりました。ああ、私、こんなに無理をしていたんだ。これで、少しは休める。そう思いました。
でも、退院した、その翌日。息子が、体調が悪いと、学校を早退してきました。
そこから息子は、学校に行けなくなったんです。
私の頭も、まだふわふわしたまま。体調も戻らないうちに、次のことが、もう始まっていました。
どうしたらいいのか分からず、ネットで検索していたとき、初めて知った言葉が「自己受容」でした。
「自分の気持ちを、良いも悪いもなく、そのまま受け止めること。」
だから毎日、言葉どおり、少しずつやってみました。
でも、すぐには何も変わりませんでした。
頭では、分かっていたんです。頭では。その反面、心のモヤモヤは、晴れることがありませんでした。
考えてみれば、当たり前です。受け入れられないから、苦しんでいる。その私に「受け入れましょう」と言われても。
長い間、ガチガチに固まってきた心と考え方です。すぐに変われるはずが、ありませんでした。
それに、義母は変わらない。夫も変わらない。私を取り巻く環境は、何ひとつ、変わっていませんでした。
自分の気持ちをいくら受け止めても、目の前の相手は変わらない。変わらない人たちの中で、私は、どうしたらいいんだろう。
答えが見えてくるまでに、あまりにも時間がかかりすぎる。正直、そう感じていました。
悲鳴を上げていたのは、心のほうでした
自己受容は、私にとって、大切な最初の一歩でした。私の内側は、時間をかけて、少しずつほどけていきました。
でも、目の前の毎日は、待ってくれません。
そんな時に出会ったのが、自己受容とは、また別のものでした。
それを知ったとき、ようやく、すとんと腹に落ちたんです。
あの突然のめまいは、体が悲鳴を上げたんだと、ずっと思っていました。
でも、今は分かります。本当に悲鳴を上げていたのは、心のほうでした。
心の声に気づけなかった私に、体が代わりに教えてくれたんです。
「別のもの」が何だったのかは、また改めてお話しします。

右耳は聞こえにくいまま、でも
最初の一歩だった自己受容は、今では、私の土台になっています。
あの頃が嘘みたいに、心が軽くなりました。人に振り回されることも、かなり減っています。自分の中に、一本の芯ができたと感じます。
もちろん、何でも言えるようになったわけではありません。今でも、気になることはあります。
右耳は、今も聞こえにくいままです。
でも、その分、自分の声は、前よりずっと、聞こえるようになりました。
あの時、体は、もう限界だと言っていたんですね。あの日の悲鳴がなかったら、私は今も、自分の声を聞かないまま、生きていたかもしれません。
もし今、毎日がんばりすぎて、自分のことを後回しにしている方がいたら。少しだけ、自分の声に、耳をすませてみてください。
同じような経験があれば、よかったらコメントで教えてください。
【あわせて読みたい】


【この記事のもとになった動画はこちら】


コメント