メニエール病の原因はストレスだった。「全部周りのせい」と思っていた50代主婦の話

義母のせい。夫のせい。職場の人のせい。

息子が不登校になったのも、メニエール病になったのも、ぜんぶ周りのせい――。

長い間、そう思いながら生きてきました。

でも今は、違う景色が見えています。

このたびYouTubeチャンネル「50代、全部周りが悪いと思ってた話」を始めました。

この記事では、私がなぜチャンネルを始めたのか、

そしてこれからどんな話をしていくのかをお話しします。

※動画で聞き流したい方はこちらからどうぞ。

目次

私はこんな人間です

私は50代の主婦です。今は水道検針の仕事をしながら、夫と息子と義父との生活を送っています。

ごく普通の主婦ですが、これまでの人生、なかなか色々ありました。

二世帯同居で嫁姑問題を抱え、息子の不登校に悩み、職場の人間関係に消耗して、

気づいたらメニエール病になっていました。

カウンセラーでも心理士でもありません。

ただ、同じ場所でずっと苦しんで、「自己受容」と「アサーション」という考え方に出会い、

少しずつ変わってきた、一人の普通の主婦です。

あなたも今、誰かとの関係で苦しんでいませんか?

この記事を見つけてくださったあなたは、今、誰かとの関係で苦しんでいませんか?

義母が嫌で仕方ない。

子どもが学校に行かなくて毎日不安で、どうしてあげたらいいかわからない。

職場で気を使いすぎて、家に帰ったらもう何もできないくらいぐったり。

夫は頼れない。

誰にも本音を言えない。

「私が我慢すれば丸く収まる」

「どうせ言ってもわかってもらえない」

「一生このままなのかな……」

そんなふうに感じていませんか?

私は、ずっとそうでした。

だからこそ、同じ場所で立ち止まっているあなたに、

私の経験を飾らずにお話ししたいのです。

義母との二世帯同居――「あなたのためにやってあげた」

義母との二世帯同居は、結婚してすぐに始まりました。

最初から関係は良くなく、常に見張られているような感覚で、息が詰まる毎日でした。

よく呼び出されては説教をされました。

「夫は外で仕事、家のことは嫁がやらなくてどうするの!」と。

言い返したこともありますが、言い返すと何倍にもなって返ってくる。

だから黙っているしかありませんでした。

3ヶ月間、理由もわからないまま無視されたこともあります。

何かにつけて言われたのが

「あなたのためにやってあげた」

という言葉でした。

善意を盾にされると、文句も言えなくなります。

心の中で「誰も頼んでないけど…」と思いながら、

「ありがとうございます」と言うしかありませんでした。

息子の不登校――誰にも本音を言えなかった

そんな中、息子が中学2年で不登校になりました。

朝、起きてこない息子を見たときの絶望感は、今も忘れられません。

この子の将来はどうなるんだろう。

一生このままだったらどうしよう。

頭の中は不安でいっぱいでした。

義父母からは「早く学校に行かせろ」とプレッシャーをかけられ、

夫は「まあそのうち行くだろう」と他人事。

友人にも家族にも、本音を話せる人は一人もいませんでした。

夜、一人で泣くしかありませんでした。

メニエール病――体が先に限界のサインを出していた

義母のこと、息子のこと、職場のこと。全部を一人で抱えながら、

自分のことだけはずっと後回しにしてきました。

健康診断で聞こえの悪さを指摘されても、受診しませんでした。

そしてある朝、起きたら突然、目の前がグルグル回っていました。

その日は夫が家にいたのですが、「仕事があるから」と出かけてしまいました。

しばらく休んだら少し落ち着いたので、「一人でなんとかしよう」と思って出勤しました。

心のどこかで、「もう少し心配してくれてもいいかな」と思いながら。

でも次の日、またグルグルが始まりました。

今度は動けませんでした。

夫に救急車を呼んでもらい、息子に付き添ってもらって搬送されました。

診断はメニエール病。3週間入院し、右耳の聴力は戻りませんでした。

お医者さんに言われました。「一番の原因はストレスです」と。

入院してすぐ、勤め先に電話して退職を伝えました。

電話を切った瞬間、すうっと体が楽になったのを覚えています。

そのとき初めて、自分がどれだけ追い詰められていたかに気づきました。

体が先に、限界のサインを出していたのです。

変わるきっかけ①「自己受容」との出会い

変わるきっかけは、息子の不登校を扱うカウンセラーの方から

「自己受容」という考え方を教わったことでした。

正直、最初はよくわかりませんでした。

感覚的にぼんやりしていて、やってみてもなかなか変われない。

でも続けていくうちに、じわじわと体に染み込んでいき、

あるとき「こういうことか」と腑に落ちる瞬間が来ました。

変わるきっかけ②「アサーション」を知る

決定的に変わったのは、コミュニケーション講座でアサーションを知ったことです。

たとえば、ママ友に挨拶したのに返事がなかったとき。

「私、嫌われてる?」

「何かした?」

と頭の中がぐるぐる始まる。

でも、相手の気持ちは頭でいくら考えてもわからないんです。

相手の気持ちは、相手のもの。

この言葉で、すうっと楽になりました。

義母のわけのわからない言動も同じでした。

いくら気にしても相手は変わらない。

相手には相手の状況がある。

変えられるのは自分だけ。

私は挨拶をした、無視はしていない、それで大丈夫――

そう思えるようになったのです。

自己受容は「心」、アサーションは「頭」。

どちらかに偏っていては、自己肯定感はなかなか上がりません。

この二つが合わさって、はじめて自分が変わっていくのを感じました。

悪い人なんて、いなかった

今振り返ると思うのです。

義母も、夫も、息子も、悪い人なんていなかった。

みんな、それぞれの背景を抱えながら、必死に生きていただけだったんだと。

そのことに気づいたとき、長い間ずっと重かった何かが、すうっと軽くなりました。

あの頃の私に、誰かこう言ってくれる人がいたら、

どれだけ楽になれただろうと今でも思います

。「悪い人なんていないよ。みんな、自分の背景を生きているだけだよ」と。

これからこのブログとチャンネルで話していくこと

このブログとYouTubeチャンネルでは、これから次のようなテーマを少しずつお話ししていく予定です。

  • 義母との二世帯同居で実際に何があったのか
  • 息子の不登校と、親としてどう向き合ってきたか
  • 自己肯定感の低さが私の人生に何をもたらしたか
  • 自己受容とアサーションを、日常でどう使っていくか

専門家の解説ではなく、一人の主婦が実際に経験して、つまずいて、少しずつ変わってきた記録です。

だからこそ、同じ場所で苦しんでいる方の心に届くものがあると信じています。

もしよかったら、

相手の気持ちは、相手のもの

という言葉だけでも、頭の片隅に置いておいてください。

私はこの言葉で、本当に楽になりましたから。

このチャンネルとブログが、今苦しんでいる誰かの「私は一人じゃなかった」になれたら嬉しいです。

次回は、義母との二世帯同居の頃の話をもう少し詳しくお話しします。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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