断れない、気を使いすぎる。「面倒くさい女」だった50代の私が変われた理由

今日は、過去の私がどれだけ面倒くさい女だったか、正直にお話しします。

自分でも笑ってしまうくらい、面倒くさかった。

でもこれ、私だけじゃないと思うんです。同じように感じている方に届いたらいいなと思って、書いています。

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目次

こんなこと、ありませんか?

普段仲良くしているわけではない相手から誘われたけど、正直行きたくない。でも周りがみんな行くから、行かなくてはいけないと思ってしまう。

なんとなく気乗りしないけど、断ったら次から誘われないかな。のけ者にされたら嫌だな。

そう思いつつ、結局行ってしまう。

いざ行ったら行ったで楽しくない。なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。帰り道、「べつに行かなくてもよかった」と思いながら家に帰る。

そして自己嫌悪。

私はずっと、その繰り返しでした。

「黙ってやり過ごす」が処世術になった子供時代

なぜそうなってしまうのか。

私の場合、子供の頃からいつも親に怒られてばかりでした。何かいつも小言を言われていました。

でも不思議なんです。何をどうして怒られたのか、何を言われていたのか、あまり覚えていないんです。

きっと、親のその時の機嫌で怒られていたんだと思います。

何が地雷なのかわからない。いつ怒られるかわからない。そして、何か言えば言い返される。言い返すと、何倍にもなって返ってくる。

特に父親からの説教が始まった時は、嫌で嫌で仕方ありませんでした。

テーブルに向かい合わせで座り、怖くて顔も見られずうつむくだけ。何も言わず、話もろくに聞かず、ただ嵐が過ぎるのを待つばかりでした。

まるで、蛇に睨まれた蛙ですね。

「ひたすら黙って終わるのを待つ」。それが私の処世術になりました。

そうやって育った私は、他人の反応が怖くて顔色をうかがう大人になっていました。

「嫌われてはいけない」
「怒らせてはいけない」
「いい人でいなければ」

そしてもっと厄介だったのは——心の底では嫌だというわずかな違和感を感じつつも、何の疑問も持たなかったことです。

頭では「これでいい、これが正しい」と自分を納得させていました。嫌だという感情を、思考で押し込めていたんです。

ママ友のお誘い、断れなかった話

ある時、息子たちの幼稚園の送りの後に、一人のママ友からモーニングに誘われました。

その時、私の他にもう一人ママ友がいました。彼女が行くと返事をしたので、私も行くことにしました。

正直、行きたくなかった。

でも頭の中で、ぐるぐる始まるんです。

「断ったら次から誘われないかな」
「悪く思われたらどうしよう」
「いい人でいなければ」

子供の頃と同じです。相手の反応が怖くて、何も言えない。

結局、行きました。

行ったら行ったで、いまいち楽しめない。楽しめないから会話もいまいち。帰り道、思いました。「行かなくてもよかった」って。

ランチの時も同じでした。その時は5、6人のママ友でした。

今度は人数が多いから、仲間意識ができて入れてもらえなくなるかな。のけ者にされるのも嫌。でも行ったら行ったで楽しくない。

どっちに転んでも消耗する。どっちつかずの自分が嫌でした。

特に仲良くしたいわけでもないのに、嫌われるのが怖くて、笑いながら座っていました。

本音はひとつも言わずに。

職場で機嫌を取って、逆にウザがられていた話

職場でも同じでした。

転職してすぐ、退職される方の引き継ぎをすることになりました。転職して入った職場は、事務の女性が仕切っていました。

入社して間もないのに、その事務の女性のひと言で仕事内容の変更がありました。一度ならず、何度もです。振り回されているとも感じていました。

本来は係長が主任に相談するべきことを、なぜか係長は事務の女性に相談していました。そして何かにつけて、事務の女性の意見を尊重していたのです。

そんな風に、仕事の割り振りや分担を安易に決めている。組織としてうまく機能していない様子でした。

入ったばかりの私は、それに従うしかありませんでした。

おかしいとは思っていました。きっと周りの人も、本当はおかしいと思っていたはずです。

でも誰も言わなかった。私も言えなかった。

そんな職場をおかしいと思いつつ、本当は居たくないと思いつつ、ずるずると通い続けていました。自分の体を壊すまで。

子供の頃と同じです。

言えば、言い返される。波風が立つ。だから黙って、やり過ごす。

でも、何一つ変わらない。

その職場には、もう一人、どうも苦手に感じる女性がいました。

それでも私は職場になじもうと、その人の機嫌を必死に取ろうとしていました。何か話して、親しくなったほうがいいかな、と。

でも、ある時、仕事の質問をしたら——ものすごく面倒くさそうな、怒ったような態度をされたんです。

「あ、嫌われてる」

そう思いました。それから、その人に近づくのが怖くなりました。

今振り返ると、無理に取り入ろうとする必要なんてなかったんです。

それどころか——機嫌を取ろうと話しかけるたびに、きっとウザがられてたんだと思います。

自分では一生懸命だったのに、完全に逆効果。

本当に、面倒くさい女ですよね。

合わない人とは、合わない。それでよかったんです。

「面倒くさい女」の正体

今振り返ると、思うんです。

私はいつも、相手の反応ばかり気にして、自分の気持ちは後回しにしていました。

行きたくない自分がいる。おかしいと思っている自分がいる。嫌だと感じている自分がいる。

それなのに、その気持ちを無視して、相手に合わせてばかりいた。

これが「面倒くさい女」の正体でした。

自分の気持ちより相手の反応を優先して、結局、自分が一番損をしていたんです。

しかも、誰かにそうしろと言われたわけじゃない。

子供の頃に身につけた「黙ってやり過ごす」を、大人になってもずっと続けていただけなんです。

今は「誘われなくなっても、まあいいか」

今は違います。

行きたくないなら、行かない。やりたくないことは、無理してやらない。

以前の私には、絶対できなかったことです。

何が変わったのか。それは、自己受容ができるようになったからです。

いいも悪いも、全部自分なんだと受け容れられるようになったからです。

行きたくない自分がいる。やりたくない自分がいる。それでいい。それが私だから。

自己受容ができたから、アサーティブに「行かない」と言えるようになりました。

断ったら、確かに誘われなくなりました。

でも今は思うんです。

「誘われなくなっても、まあいいか」って。

以前の私なら、絶対に言えなかった言葉です。

過去の自分に言ってあげたいこと

子供の頃から、ずっと「黙ってやり過ごす」ことで自分を守ってきました。

何も言わずに、嵐が過ぎるのを待ちました。自分の心の中の違和感を無視して、相手に従っていました。

ママ友にも、職場でも、ずっとそうやって耐えてきました。

そんな過去の自分に、今は言ってあげたいんです。

「よく耐えてきたね。よく頑張ったね」

「あの頃のあなたは、精一杯生きていたよ」

「でも、もう黙らなくていい。自分の気持ちを、大切にしていいんだよ」って。

この記事のまとめ

  • 「面倒くさい女」の正体は、自分の気持ちより相手の反応を優先すること
  • その根っこは、子供の頃に身につけた「黙ってやり過ごす」という処世術
  • 変わるきっかけは、自己受容。「行きたくない自分がいてもいい」と認めること
  • 断って誘われなくなっても、「まあいいか」と思えたら、それが変化のサイン

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

次回は、「自分を大切にする」の意味を勘違いしていた話をします。

▼第1回のお話はこちら
メニエール病の原因はストレスだった。全部周りが悪いと思ってた50代主婦の話(第1回)

またお会いしましょう。

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