今日は、過去の私がどれだけ面倒くさい女だったか、正直にお話しします。
自分でも笑ってしまうくらい、面倒くさかった。
でもこれ、私だけじゃないと思うんです。同じように感じている方に届いたらいいなと思って、書いています。
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こんなこと、ありませんか?
普段仲良くしているわけではない相手から誘われたけど、正直行きたくない。でも周りがみんな行くから、行かなくてはいけないと思ってしまう。
なんとなく気乗りしないけど、断ったら次から誘われないかな。のけ者にされたら嫌だな。
そう思いつつ、結局行ってしまう。
いざ行ったら行ったで楽しくない。なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。帰り道、「べつに行かなくてもよかった」と思いながら家に帰る。
そして自己嫌悪。
私はずっと、その繰り返しでした。
「黙ってやり過ごす」が処世術になった子供時代
なぜそうなってしまうのか。
私の場合、子供の頃からいつも親に怒られてばかりでした。何かいつも小言を言われていました。
でも不思議なんです。何をどうして怒られたのか、何を言われていたのか、あまり覚えていないんです。
きっと、親のその時の機嫌で怒られていたんだと思います。
何が地雷なのかわからない。いつ怒られるかわからない。そして、何か言えば言い返される。言い返すと、何倍にもなって返ってくる。
特に父親からの説教が始まった時は、嫌で嫌で仕方ありませんでした。
テーブルに向かい合わせで座り、怖くて顔も見られずうつむくだけ。何も言わず、話もろくに聞かず、ただ嵐が過ぎるのを待つばかりでした。
まるで、蛇に睨まれた蛙ですね。
「ひたすら黙って終わるのを待つ」。それが私の処世術になりました。
そうやって育った私は、他人の反応が怖くて顔色をうかがう大人になっていました。
「嫌われてはいけない」
「怒らせてはいけない」
「いい人でいなければ」
そしてもっと厄介だったのは——心の底では嫌だというわずかな違和感を感じつつも、何の疑問も持たなかったことです。
頭では「これでいい、これが正しい」と自分を納得させていました。嫌だという感情を、思考で押し込めていたんです。

ママ友のお誘い、断れなかった話
ある時、息子たちの幼稚園の送りの後に、一人のママ友からモーニングに誘われました。
その時、私の他にもう一人ママ友がいました。彼女が行くと返事をしたので、私も行くことにしました。
正直、行きたくなかった。
でも頭の中で、ぐるぐる始まるんです。
「断ったら次から誘われないかな」
「悪く思われたらどうしよう」
「いい人でいなければ」
子供の頃と同じです。相手の反応が怖くて、何も言えない。
結局、行きました。
行ったら行ったで、いまいち楽しめない。楽しめないから会話もいまいち。帰り道、思いました。「行かなくてもよかった」って。
ランチの時も同じでした。その時は5、6人のママ友でした。
今度は人数が多いから、仲間意識ができて入れてもらえなくなるかな。のけ者にされるのも嫌。でも行ったら行ったで楽しくない。
どっちに転んでも消耗する。どっちつかずの自分が嫌でした。
特に仲良くしたいわけでもないのに、嫌われるのが怖くて、笑いながら座っていました。
本音はひとつも言わずに。
職場で機嫌を取って、逆にウザがられていた話
職場でも同じでした。
転職してすぐ、退職される方の引き継ぎをすることになりました。転職して入った職場は、事務の女性が仕切っていました。
入社して間もないのに、その事務の女性のひと言で仕事内容の変更がありました。一度ならず、何度もです。振り回されているとも感じていました。
本来は係長が主任に相談するべきことを、なぜか係長は事務の女性に相談していました。そして何かにつけて、事務の女性の意見を尊重していたのです。
そんな風に、仕事の割り振りや分担を安易に決めている。組織としてうまく機能していない様子でした。
入ったばかりの私は、それに従うしかありませんでした。
おかしいとは思っていました。きっと周りの人も、本当はおかしいと思っていたはずです。
でも誰も言わなかった。私も言えなかった。
そんな職場をおかしいと思いつつ、本当は居たくないと思いつつ、ずるずると通い続けていました。自分の体を壊すまで。
子供の頃と同じです。
言えば、言い返される。波風が立つ。だから黙って、やり過ごす。
でも、何一つ変わらない。
その職場には、もう一人、どうも苦手に感じる女性がいました。
それでも私は職場になじもうと、その人の機嫌を必死に取ろうとしていました。何か話して、親しくなったほうがいいかな、と。
でも、ある時、仕事の質問をしたら——ものすごく面倒くさそうな、怒ったような態度をされたんです。
「あ、嫌われてる」
そう思いました。それから、その人に近づくのが怖くなりました。
今振り返ると、無理に取り入ろうとする必要なんてなかったんです。
それどころか——機嫌を取ろうと話しかけるたびに、きっとウザがられてたんだと思います。
自分では一生懸命だったのに、完全に逆効果。
本当に、面倒くさい女ですよね。
合わない人とは、合わない。それでよかったんです。

「面倒くさい女」の正体
今振り返ると、思うんです。
私はいつも、相手の反応ばかり気にして、自分の気持ちは後回しにしていました。
行きたくない自分がいる。おかしいと思っている自分がいる。嫌だと感じている自分がいる。
それなのに、その気持ちを無視して、相手に合わせてばかりいた。
これが「面倒くさい女」の正体でした。
自分の気持ちより相手の反応を優先して、結局、自分が一番損をしていたんです。
しかも、誰かにそうしろと言われたわけじゃない。
子供の頃に身につけた「黙ってやり過ごす」を、大人になってもずっと続けていただけなんです。
今は「誘われなくなっても、まあいいか」
今は違います。
行きたくないなら、行かない。やりたくないことは、無理してやらない。
以前の私には、絶対できなかったことです。
何が変わったのか。それは、自己受容ができるようになったからです。
いいも悪いも、全部自分なんだと受け容れられるようになったからです。
行きたくない自分がいる。やりたくない自分がいる。それでいい。それが私だから。
自己受容ができたから、アサーティブに「行かない」と言えるようになりました。
断ったら、確かに誘われなくなりました。
でも今は思うんです。
「誘われなくなっても、まあいいか」って。
以前の私なら、絶対に言えなかった言葉です。
過去の自分に言ってあげたいこと
子供の頃から、ずっと「黙ってやり過ごす」ことで自分を守ってきました。
何も言わずに、嵐が過ぎるのを待ちました。自分の心の中の違和感を無視して、相手に従っていました。
ママ友にも、職場でも、ずっとそうやって耐えてきました。
そんな過去の自分に、今は言ってあげたいんです。
「よく耐えてきたね。よく頑張ったね」
「あの頃のあなたは、精一杯生きていたよ」
「でも、もう黙らなくていい。自分の気持ちを、大切にしていいんだよ」って。
この記事のまとめ
- 「面倒くさい女」の正体は、自分の気持ちより相手の反応を優先すること
- その根っこは、子供の頃に身につけた「黙ってやり過ごす」という処世術
- 変わるきっかけは、自己受容。「行きたくない自分がいてもいい」と認めること
- 断って誘われなくなっても、「まあいいか」と思えたら、それが変化のサイン
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
次回は、「自分を大切にする」の意味を勘違いしていた話をします。
▼第1回のお話はこちら
メニエール病の原因はストレスだった。全部周りが悪いと思ってた50代主婦の話(第1回)
またお会いしましょう。

