話しても、「口答え」と言われる。
黙っていると、「なぜ何も言わないの」と責められる。
義母との関係には、どちらを選んでも、正解がありませんでした。
この記事では、二世帯同居の玄関に置かれた一通の手紙をきっかけに、私が義母の話を聞けなくなっていった理由をお話しします。
玄関の下駄箱に、一枚の手紙がありました
二世帯同居の、ある朝のことです。
玄関の下駄箱の、いつも通り置かれた郵便に紛れて、一枚の手紙がありました。封もされていない、たった一枚の紙でした。筆跡は、義父のものでした。
読んだ瞬間、心臓がバクバクしました。
書いてあったのは、敷地の「線引き」の提案でした。義母は自分のペースでやってきたので、これからは範囲を決めて、各自でやりませんか。いい案があれば、言ってください、と。
言葉だけ見れば、下手に出ています。話し合いの余地も、ちゃんとあるように見えます。
でも、私にはそう思えませんでした。
前日、私はただ「一緒にやるよ」と言っただけでした。その日は何も言われませんでしたし、何かを話し合った覚えもありません。ただ次の日、下駄箱にこの紙が置かれていただけでした。
なぜ、こんなことになったのか。話は、その前日にさかのぼります。

「私も一緒にやるよ」と言っただけでした
家の周りには、たくさんではありませんが、いつも雑草が生えています。
抜いても抜いても、しばらくすればまた生えてくる。その世話を、ずっと義母がしてくれていました。暑い日も、義母は黙々と草を抜いていました。私はそれを見て、いつも少し後ろめたさを感じていました。
だからある日、思い切って言ったんです。
「私も一緒にやるよ」
私が言ったのはそれだけです。特別なことは何も言っていません。むしろ、気を遣ったつもりでした。
その日は、何も言われませんでした。義母はいつも通りでした。だから私は、安心していました。
でも、次の朝に置いてあったのが、あの手紙でした。
やっても、やらなくても、気に入らない
手紙の通り、その後、担当の範囲は分かれました。
しばらくして、私は自分の担当の部分の草取りをして、土をならしました。ただ、義母のならし方とは違いました。義母はいつも、箒できれいにならしていました。私は、そこまではしませんでした。
すると、気がつけば、私の担当のはずの部分にまで、義母が箒を入れていたんです。
自分の範囲は、自分でやっていいはずです。手紙にも、そう書いてありました。でも、私のやり方では気に入らなかったんだと思います。
分担しても、人のやることが自分の思い通りでないと、気に入らない。
何をやっても、何をやらなくても、気に入らない。
それに気づいたのは、この時でした。

説明しただけなのに「口答え」と言われた
実はこれより、ずっと前のことです。二世帯同居が始まるよりも前の話になります。
義父母の家に遊びに行った日、インターホンが鳴り続けていました。ちょうど義母が忙しくしていたので、私が代わりに出ました。それだけのことでした。
でも義母は、血相を変えてこう言いました。
「なんで、勝手に出るの?」
「忙しそうだったので、代わりに出ました」
そう伝えました。すると返ってきたのは、この言葉でした。
「口答えは、しなくていいから」
理由を説明しただけです。反論も、文句も言っていません。それでも「口答え」でした。
その日、私は学びました。説明することさえ、「口答え」になるのだと。
これは、私だけが感じていたことではありませんでした。夫も子どもの頃、同じような思いをしていたそうです。友達の家に遊びに行こうとすると、義母に「私が心配だから」と言われて、結局行けなかったことが何度もあったと。夫が結婚してからも、義母は変わりませんでした。
私だけが上手くやれていないと思っていました。でも夫の話を聞いて、義母には昔から、有無を言わさないところがあったんだと知りました。
だから、だんだん私は黙るようになりました。
すると今度は、
「なぜ何も言わないの」
と責められました。
話しても、黙っても、正解はありませんでした。
何を言っても、何を言わなくても変わらない。そう分かってから、私は話すことをやめただけでなく、聞くことも、やめました。
義母の話が聞けなかったのは、冷たいからじゃなかった
一度だけ、義母が自分から話をしたことがありました。八月六日、義父母のリビングでのことです。(この日のことは「義母を許せないまま、亡くなりました」の記事で少しお話ししています。)
義母が話し終えた時、私は「そうなんですね」とひと言言っただけで、それ以上は何も言えませんでした。一瞬、何か言わなきゃと思いました。でも頭に浮かんだのは言葉ではなく、「口答え」という、あの言葉でした。
一度だけ、チラッと義母のほうを見ました。でもすぐに視線をテレビへ戻して、それ以上、義母のほうは見ませんでした。
辛い話なのに、せっかく話してくれたのに、私は受け止めてあげられなかった。だから、私は冷たい人間だと思っていました。
でも今なら、あれは違ったんだと振り返ることができます。
話しても「口答えだ」と言われる。黙っていても、なぜ何も言わないのと責められる。そうやって何年も、正解のない場所に立たされ続けていたら、人は、聞くこと自体をやめてしまうんだと思います。
義父母の前で静かだったのは、何も感じていなかったからではありません。反論すれば、何倍にもなって返ってくる。それが分かっていたから、言い返すことは早々に諦めていました。言いたいことは、ちゃんとありました。ただ、それを言葉にする場所が、義父母の前にはなかったんです。
怒りもありました。言えなかった言葉を吐き出す場所は、いつも、誰もいない自分たちのリビングでした。
あるとき義父母の二人から、「息子たちを、可愛がっていない」と言われたことがあります。言われた瞬間、傷つきました。もちろん、息子たちを一生懸命育てていました。だから、ものすごく責められている気持ちになって、落ち込みました。
意を決して、義母との距離を縮めようとしたこともあります。でも逆に、磁石のN極同士を近づけたみたいに、遠ざかっていくんです。
義母と顔を合わせるのが怖くて、頭で考える前に、体が先に反応して心臓がバクバクすることもありました。また何か言われたら、もう耐えられない。
あの頃の私は、自分を守ることに、エネルギーを使い果たしていたんだと思います。義母の話を受け止める余裕なんて、どこにも残っていませんでした。
冷たかったわけでも、嫌いだったからだけでもありません。
義母から自分を守るために、いちばんいいのは、接触しないことでした。

心に届かなかったのか、届かないように閉じていたのか
私が義母の話をちゃんと聞けなかったのは、実際に、私の心に響いていなかったからなのか。それとも、届かないように、わざと心を閉じていたのか。
たぶん、その両方でした。
うまくキャッチボールができない関係では、たとえ相手が勇気を出して何かを話してくれても、一方通行になるだけです。ボールを投げ返せない関係では、大事な話も、受け取れないんだと思います。
これは、誰かが悪いと決めつける話ではありません。そういう関係だった、ということです。
今は、行動だけを受け取るようにしています
今は、あの頃と少しだけ違います。
以前は、何かされて腹が立った時、自分たちのリビングで吐き出していました。でも今は、受け止め方が少し変わりました。
相手が何をしたか。その行動だけを、そのまま受け取るようにしています。なぜそうしたのか、その裏にある気持ちまでは、くみ取ろうとしません。
相手の考えは、相手のものです。私がどうにかできるものではありません。それをなんとかしようとすると、苦しくなるのは、いつも自分のほうでした。
頼んでもないことをされても、「この人は、そうしたかったんだな」と受け止めるだけにして、無理に何かを返そうとはしなくなりました。
- やってくれたことには、ありがとうと言う
- 断りたいなら、そう伝える
相手の気持ちまで背負い込むと、自分の言いたいことが言えなくなってしまう。だから、気持ちの奥までは、くみ取らないことにしました。
もし今、誰かとの関係で「何をしてもうまくいかない」と感じている方がいたら、それは、あなたが悪いわけじゃないのかもしれません。
同じような経験があれば、よかったらコメントで教えてください。
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