断れない、我慢してしまう、顔色をうかがうのはなぜ?「言わない」のではなく「言えなかった」50代の私が気づいたこと

嫌なのに、断れない。

おかしいと思っても、何も言えない。

相手の顔色を見て、「今回は私が我慢すればいいか」と思ってしまう。

そんなこと、ありませんか。

私も、ずっとそうでした。

自分のことを「言わない人」だと思っていました。でも今振り返ると、少し違ったんです。

私は、言わないのではなかった。言えなかったんです。

50代になって、やっとそのことに気づきました。

言いたいことを飲み込んでいた頃のような、重たい曇り空
目次

回覧板を自分で回せなかった私

義母と二世帯同居をしていた頃の話です。

回覧板は、義母が回すものと決まっていました。義父母が朝から出かけていて、帰りが夜遅くなっても、義母が回します。玄関にそれが置いてあっても、私は触りません。

郵便物もそうでした。取りに行くのは義母です。私が先に取ってくると、不機嫌になります。

なぜそうなのか、説明されたことはありません。

そのとき、私は何も言っていません。

嫌だな、とは思うんです。理不尽だな、とも思います。でも、そう思った次の瞬間には、もう答えが出ているんです。

ここで何か言ったら、波風が立つ。波風が立てば、こっちに向かってくる。そうなったら、もっとしんどい。

だったら、黙っていたほうがいい。

考えた、というより、一瞬でそう決まっていました。

ママ友との関係でも、同じことをしていた

家の中だけの話ではありませんでした。

以前、ママ友にモーニングに誘われたことがあります。正直に言うと、その日はあまり乗り気ではありませんでした。

でも、もうひとりのママ友が「私は行くよ」と言っている。

自分だけ断ったら、次から誘われなくなるかもしれない。

そんなことを考えて、結局、行きました。

楽しくなかったんです。やめておけばよかった、と思いました。

それなのに、次に誘われたときも、また同じことをしていました。

今思えば、気を使っていたというより、怖かったんだと思います。嫌われたくなかった。関係を壊したくなかった。

私の中の天秤は、いつも同じ方向に傾いていた

そんなことを繰り返しているうちに、自分の中にいつも同じ天秤があることに気づきました。

片方には、「私は嫌だ」「行きたくない」「それは違うと思う」という、自分の気持ち。

もう片方には、「断ったらどう思われる?」「嫌われないかな?」「相手が不機嫌になったらどうしよう?」という、相手の反応。

その天秤が、いつも同じほうに傾いていたんです。

私の「嫌だ」が、いつも軽かった。

というより、「嫌だ」を天秤に乗せること自体が、怖かったんだと思います。

ここで、ひとつはっきりさせておきたいことがあります。

私は、自分の気持ちが分からなかったわけではありません。

「嫌だな」と感じることは、ちゃんとありました。一瞬だけ、出てくるんです。

ただ、「私は、なぜ嫌なんだろう」「本当はどうしたいんだろう」と、自分の内側を見ることをしてこなかった。

それより先に見ていたのは、いつも相手でした。

この人はどう思うだろう。怒るかな。嫌な顔をするかな。ここで断ったら、あとで面倒なことになるかな。

自分がどう感じているかより、相手がどう反応するかを見ていた。

自分の気持ちを確かめる前に、相手に合わせる答えを出していたんです。

相手がいなくても自分を見張っていた頃を思わせる、動きのない曇り空

見張っていたのは、義母だけではなかった

この天秤には、少し怖いところがありました。

相手がいなくても、働くんです。

二世帯同居をしていた頃、私はいつも見張られているような感覚がありました。何を買ったか、誰と会ったか、どこへ行ったか。いろんなことを知られていました。

でも、いちばんしんどかったのは、見張られていたことだけではありませんでした。

ひとりで買い物に行っても、同じだったんです。

「これを買ったら、何か言われるかな」

そう思って、買おうと思ったものを棚に戻す。

その場に、義母はいません。何も言われていません。それなのに、私は自分で自分を止めていました。

離れていても、しんどかったんです。

そこで、気づきました。

見張っていたのは、義母だけじゃなかった。私が、私を見張っていた。

何十年もそうしていると、無意識にそうなるんですね。相手が目の前にいなくても、勝手に答えが出るようになる。

「断れなかった自分」を責めなくていいと思った

ここで、ひとつ伝えておきたいことがあります。

あの頃の私が黙っていたのは、弱かったからではありません。

義母に逆らったら、どうなるか分かっていました。言い返せば、こっちに向かってくる。しかも同じ家に住んでいて、毎日顔を合わせる。逃げ場がない。

そんな状況で、「もっと言いたいことを言えばよかった」なんて、今の私が簡単に言うことはできません。

ママ友との関係も同じです。ここでひと言言ったら、そのあとの関係が何年も気まずくなるかもしれない。

だから、黙る。我慢する。合わせる。

当時の私にとって、それは自分を守る方法だったんです。実際、そうすることで波風は立ちませんでした。

だから、昔の自分に「なんで言えなかったんだろう」と責めるのは、もうやめました。

言えなかったのは、怖かったから。そして、あの頃の私には、怖がるだけの理由があったんです。

ただ、それを何十年も続けていると、少しずつ苦しくなっていきます。

一回なら、そのときの我慢で終わります。でも、何百回、何千回と続けていると、我慢することそのものが当たり前になってしまう。

「どうせ通らない」「考えるのも疲れる」「だったら、最初から嫌だと思わなければいい」

いつの間にか、そんなふうになっていました。

子どもの頃から「どうせダメ」と諦めていた

そしてこれは、義母と暮らすようになってから始まったことではありませんでした。

子どもの頃、父が「ダメだ」と言ったら、それで終わりでした。話を聞いてもらった、という記憶があまりありません。

「どうせダメだから」

そう思って、諦めることが当たり前になっていました。

この頃のことについては、またいつか、ちゃんとお話ししたいと思っています。

ただ、今の私が思うのは、言えなかった自分にも、そうなるまでの理由があったんだ、ということです。

義母の背景を知っても、好きにはならなかった

前回、義母の話をしました。

義母が十三歳だった頃に何があったのか、私は一度だけ、本人の口から聞いています。あとになって、義母にも私が知らなかった背景があったことを知りました。

でも、ここははっきり言っておきたいんです。

背景を知ったからといって、私は義母を好きになったわけではありません。

今も、好きではありません。嫌な人だったな、と思っています。

分かるということと、許すということは、別のことです。

誰かを理解したら、その人を許さなければいけない、とは思っていません。好きになる必要もありません。

ただ、「あの人は悪い人だ」と決めつけていたものを、いったん横に置いてみる。

それだけでも、自分の心が少し変わることがあります。

相手を変えることはできません。過去を変えることもできません。でも、自分の中にあるものを、少し違う角度から見てみることはできる。

私は、そこから少しずつ変わっていきました。

少しずつ気持ちが軽くなっていくような、晴れた青空

今の私は、少しずつ「断れる人」になった

今の私は、やりたくないことを断れるようになりました。

「すみません、今回はやめておきます」

そう言えるようになりました。

以前は、断った後のことばかり考えていました。相手が困るんじゃないか。気を悪くしたんじゃないか。感じ悪いと思われたかな。

でも今は、そこをあまり考えなくなりました。冷たくなったわけではなく、考えても仕方がないことを考え続けなくなった、という感じです。

もちろん、何でも断っているわけではありません。「この人は、私に期待してくれているんだな」と思ったときは、ちゃんと考えます。やってみようかな、と思うこともあります。

前と何が違うのか。

それは、天秤に、私の気持ちも、ちゃんと乗るようになったことです。

以前は、乗せていませんでした。一瞬「嫌だな」と思っても、その気持ちはすぐに下ろしていました。

今は、乗せます。そのうえで「やっぱり、今回は引き受けよう」と決めることもあります。

でも、それでいいんです。引き受けるかどうかを、私が決めているからです。

「言えない」を、いきなり「何でも言える」にしなくていい

もし今、「私も断れない」「いつも我慢してしまう」と思っている方がいたら。

いきなり「NOと言える人」にならなくてもいいと思います。

まずは、自分に聞いてみる。

「私は、本当はどう思っているんだろう?」

それだけでもいいんです。

嫌だった。本当は行きたくなかった。ちょっと無理だった。

そう思った自分を、すぐに否定しない。「そんなこと思っちゃダメ」と、下ろさない。

まず、「ああ、私はそう思っていたんだ」と、そのまま置いてみる。

そして、「そう思ってもいいんだよ」と、自分に言ってあげる。

そこからでいいと思います。

相手の機嫌や気持ちを、私が全部背負わなくてもいい。相手がどうするかは、相手の問題です。

でも、自分がどう感じて、どうするかは、自分で選べる。

バラバラだった悩みは、ひとつにつながっていた

振り返ってみると、義母とのことも、ママ友とのことも、全部バラバラの出来事だと思っていました。

でも、その根っこには、同じ私がいました。

嫌だと思った。でも、その気持ちをすぐに下ろした。相手がどう思うかを考えた。波風が立たないほうを選んだ。そして、それを何度も繰り返してきた。

私は、「言わない人」だったんだと思っていました。

でも、違いました。

言わない、は違った。

私は、怖くて、言えなかったんです。

そのことに気づいたときから、少しずつ「言ってもいい」と思えるようになりました。

(あわせて読みたい:これまでの体験談)

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文章よりも、声で聞いてみたい方へ。

この話は、YouTube「きなこと心をほどく時間」でもお話ししています。手を動かしながら、聞き流していただけたらうれしいです。

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