「まさか、株とかやってるんじゃないでしょうね。」
そう聞かれて、私は、何も答えませんでした。
言い返すことも、説明することもなく、ただ黙っていました。
そしてそのあと、私は自分で、投資信託を全部、解約しました。
言いたいことを飲み込んで、黙ってきた。
そんな経験がある方に、今日の話を読んでもらえたらうれしいです。
この記事では、「黙るしかない」と思い込んでいた私が、アサーションという考え方を知って、あの日の場面をもう一度見直した話をします。
黙って、投資信託を全部手放した日
私は、義父母と二世帯同居をしていました。
郵便受けは2つありましたが、実際に使っていたのは、1つだけ。
届いた郵便物は、いつも義母が、先に取りにいっていました。
ある日、証券会社から届いた封筒のことを聞かれて、冒頭のひと言を言われました。
「やめなさい」と言われたわけではありません。
でも、郵便が届くたびに見られる生活から、逃げたかった。
だから、自分で決めて始めたことを、自分で、手放したんです。
そのときのことは、こちらの記事にくわしく書いています。

アサーションとは?相手を責めずに、自分の考えを伝えること
アサーションと聞くと、少し難しそうに感じるかもしれません。
ひとことで言うと、こういうことです。
自分の考えや気持ちを、相手を責めずに、そのまま伝えること。
そして、相手にも、自分と違う考えがあっていい、と認めること。
私は、これを知るまで、伝え方は2つしかないと思っていました。
黙って我慢するか。
一方的に、感情的に伝えるか。
でも本当は、3つめがあったんです。
ここからは、あの日のあの場面に当てはめて、3つの伝え方を順番に見ていきます。

よくある2つの伝え方|黙る私と、感情的にぶつける私
1つめ:黙って、引っ込める
「まさか、株とかやってるんじゃないでしょうね。」
そう言われて、あのときの私は、何も言いませんでした。
だから、その場は何事もなく終わります。
でも、黙っていると、義父母には「やっぱりやっていたんだ」「私たちの目は節穴じゃない」と思われてしまいます。
私は、何も悪いことをしていないのに。
私の中には、モヤモヤだけが残りました。
この場合、我慢するのは、私です。
2つめ:一方的に、感情的に伝える
これは、私が実際にやったわけではありません。
たとえば、あの場で「私の郵便だから、関係ありません!」と、感情のままにぶつけたとします。
私は、スッキリするかもしれません。
でも、義父母はムッとして、話はこじれやすくなります。
この場合、我慢するのは、相手のほうです。
私は、この2つしかないと思い込んでいました。
だから、「黙るしかない」と思っていたんです。
3つめの伝え方|自分の考えを、落ち着いて伝える
では、アサーションなら、あの日の場面でどう言うか。
その前に、ひとつだけ。
さっき、郵便受けは2つあったけれど、使っていたのは1つだけ、と書きました。
使っていなかったほうを使う、という手も、あったんです。
でも、分けるとなると、家族みんなの名前を貼ることになる。防犯のことも気になる。
何より、そんな提案をしたら、義母が不機嫌になるのは目に見えていました。
そう考えているうちに、言い出せなくなっていました。
でも、解決策がなくても、いいんです。
アサーションは、正解を出すことではなく、自分の考えを、落ち着いて伝えることだからです。
たとえば、こう言ってみる。
「これは、私のお金で、私が考えてやっていることです。」
大きな声ではありません。長い説明も、いりません。
相手を責める言葉は、ひとつも使っていません。
相手がどう受け取るかは、相手のことです。
でも私は、自分を引っ込めずに済みます。
この場合、私は、我慢していません。
これが、アサーションです。
3つの伝え方を並べると、こうなります。
3つの伝え方
- 黙って、引っ込める:その場は収まる。我慢するのは、私。
- 一方的に、感情的に伝える:私はスッキリする。我慢するのは、相手。話はこじれやすい。
- 相手を否定せず、自分の気持ちを伝える(アサーション):相手の受け取り方は相手のこと。私は、自分を引っ込めずに済む。
話を聞かない相手に、言う意味はあるの?
ここで、こんな疑問が出てくると思います。
義父母のように、人の話を聞かない相手に、言って意味があるの?
私も、そう思います。
言っても、通じないかもしれません。
実際、義母は、人の話を聞こうとしない人でした。
じゃあ、言う意味はないのか。
ここが、今日いちばんお伝えしたいところです。
アサーションは、説得じゃない
アサーションは、相手を説得するためのものではありません。
相手を変える技術でもありません。
目的は、ひとつ。
自分の考えを、自分で、守ること。
相手が納得するかどうかは、相手の問題です。
納得してもらえなくても、私が決めたことを、失うわけではありません。
あの日の私に本当に必要だったのは、義父母に認めてもらうことではなく、「私が決めたことは、私のもの」と、自分で思えることでした。
言えたかどうかより、自分の考えを守れたかどうか。
大事なのは、そこだったんです。

自己受容が、私の土台になった理由
前回の記事で、私は「自己受容は、今では私の土台になっている」と書きました。
長いこと何も変わらなかったと言いながら、急に「土台」と書いたので、「どういうこと?」と思った方もいるかもしれません。その理由を、ここでお話しします。
自己受容は、自分の気持ちを、良いも悪いもなく、そのまま受け止めること。
そして、無理に気持ちを変えなくていいこと。
これは、自分の内側の話です。
私は、毎日少しずつ、続けていました。
でも、相手の反応や他人の目を気にする自分が、変わったと思えることは、なかなかありませんでした。
そんなときに、アサーションを知りました。
「自分の気持ちを、相手を責めずに、伝えていい」
それを知った瞬間、目の前が、一瞬で、明るくなりました。
自分の気持ちをそのまま受け止めて、それを、相手を責めずに伝える。
長い間続けてきた自己受容は、無駄じゃなかった。
アサーションが、それを生かしてくれたんです。
だから、自己受容は今、私の土台になっています。


言えなかった自分を、責めなくていい
もし、あなたにも、言えなくて手放してしまったことがあるなら。
あのときの自分を、責めないでください。
あの日の私は、自分の考えを、守りきれませんでした。
でも、それは、私が弱かったからではありません。
守る方法が、見えていなかっただけです。
見えていなかったものは、あとから知ればいい。
知っていれば、次から、選ぶことができます。
私は今になって、やっと、3つめの伝え方を知りました。
それでも今でも、何かあると、ふと昔の私が顔を出します。
「また、私が悪いのかな」と、自分を責めそうになる。
あの日の私は、事実を見る前に、先に自分を責めて、先に手放していました。
でも今は、そんなとき、アサーションを思い出します。
私にも、考えがある。相手にも、違う考えがあっていい。
その二つが、私を引き戻してくれます。
そして一度立ち止まって、目の前で何が起きているのか、事実を見る。
昔の私が出てきても、そこで止まれるようになりました。
何でも言えるようになったわけではありません。
でも、自分の考えを、自分で守る方法があると知ってから、振り回されることは、ずいぶん減りました。
あなたには、言えなくて手放したものはありますか?
よかったら、コメントで教えてください。
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