不登校は”終わり”じゃなかった|中2で学校に行けなくなった息子のその後

中学2年の2月、息子は突然、学校に行けなくなりました。

朝、布団から出られない。

「起き上がれない」

とひとことつぶやいたきり、動けない。あの日から、私の毎日は一変しました。

当時の私は、本気で「この子の人生は終わった」と思っていました。夜、ひとりで泣くしかない日々。誰にも本音を話せませんでした。

でも、あれから数年たった今、息子は自分のペースで、自分の道を歩いています。あのとき「終わった」と思ったのは、私の思い込みでした。

この記事では、息子が不登校になった日のことから、母親としてどう苦しみ、息子がどう歩き出し、今どうしているのかまでを、正直に書いていきます。今まさに、お子さんの不登校で眠れない夜を過ごしている方に、届いたら嬉しいです。

▼動画で聞き流したい方は、YouTubeチャンネル「きなこと心をほどく時間」へどうぞ。

目次

中学2年の2月、息子は突然「起き上がれない」と言った

その朝、息子はいつまでたっても起きてきませんでした。

部屋を見に行くと、まだ布団の中。声をかけると、背中を丸めたまま、ひとことだけ返ってきました。

「起き上がれない」

叱っても、うながしても、動こうとしません。仕方なく、その日は学校に欠席の連絡を入れました。最初は「たまにはそういう日もある」と、軽く考えていたのです。

でも、それは一日では終わりませんでした。

毎朝の欠席連絡、膨らんでいく不安

翌日も、そのまた翌日も、息子は起き上がれませんでした。

毎朝、私は学校に電話をかけました。

「今日も、お休みさせてください」

明るい声を作ろうとするのに、うまくいかない。受話器の向こうの先生の声も、日を追うごとに気遣うような響きに変わっていきました。

その電話を、2週間ほど、毎朝かけ続けました。それでも息子が良くなる様子はなく、とうとう私は学校にこう伝えました。

「しばらく、ずっとお休みでお願いします。また行けるようになったら、連絡します」

そう口にした瞬間、何かを認めてしまったようで、胸が締めつけられました。1日、2日なら「そういう日もある」と思えます。でも1週間、2週間と続くと、不安はどんどん膨らんでいきました。

一番つらかったのは、息子ではなく私自身だったのかもしれない

今ふり返ると、あの頃いちばんつらかったのは、息子のことそのものではなかったのかもしれません。

追い詰められていたのは、母親である私自身でした。

「早く行かせろ」という夫、「どうなってるの」という義父母

夫に相談すると、返ってきたのは「早く行かせろ」のひとことでした。まるで、私がわざと行かせていないかのように。

義父母には、顔を合わせるたびに「どうなってるの?」と聞かれました。どうなっているのか、一番知りたいのは私のほうでした。でも、答えられる言葉を、私は持っていませんでした。

家族の誰も、味方ではありませんでした。責められ、問い詰められ、そのたびに私は、ひとりで抱え込むしかありませんでした。

ママ友が離れていって、本音を話せる人がいなくなった

そして、ママ友たち。

道で私の姿を見かけても、知らないふりをして通り過ぎていくようになりました。

でも、その人たちを責める気にはなれません。もし立場が逆だったら、不登校の子を抱えたお母さんに、私はうまく声をかけられただろうか。きっと、できなかったと思います。何と言えばいいのか、分からないから。

それに正直に言えば、当時の私は、誰かに息子のことを話題にしてほしくありませんでした。だから、そっとしておいてくれた人たちを、責めることなんてできなかったのです。

でも、そうやって理解できるからこそ——私にはもう、本音を話せる場所が、どこにもありませんでした。夜、みんなが寝静まってひとりになると、泣くしかありませんでした。

私は”人生が終わった”と思っていた

正直に打ち明けます。

あの頃いちばん大きかったのは、「息子の将来」への不安でした。

このまま学校に行けなかったら、高校も、進学も、就職も——この子の人生は終わってしまうんじゃないか。本気で、そう思っていました。人生が終わった、そんな感覚さえありました。

息子の人生を、誰の物差しで測っていたのか

でも今になって思うのです。私はあのとき、息子の人生を、いったい誰の物差しで測っていたんだろう、と。

学校に行く。みんなと同じように進学する。その「普通のレール」の上にいることだけが幸せだと、私は思い込んでいました。

本当に問題だったのは、息子の人生ではありませんでした。私の中にあった「こうあるべき」という物差し。そちらのほうが、ずっと古くて、狭かったのだと思います。

学校に行けなければ終わり。みんなと同じでなければ不幸。その物差しで息子を測って、勝手に「終わった」と決めつけていた。間違っていたのは、息子ではなく、その物差しを握りしめていた私のほうでした。

動き出したのは、私ではなく息子自身だった

そのことに気づかせてくれたのは、ほかでもない、息子自身でした。

心療内科、そして「このままでは変われない」という気づき

あの頃、息子はしばらく心療内科に通っていました。私は、お医者さんに任せておけば少しずつ良くなるものだと思っていました。

でも、息子は息子で、自分なりにいろいろ調べていたようです。このまま薬を飲み続けることへの不安。薬に頼っていても、根っこは変わらないんじゃないか。それより「このまま何もしなかったら、自分は変われないんじゃないか」——そう思い始めていたのです。

私が引っ張り出したわけではありません。気づいたら、息子は自分の足で、次の一歩を探し始めていました。

中3の秋、週2日の午後登校から卒業へ

中学3年の秋からは、週に2日ほど、午後だけ学校に顔を出すようになりました。

毎日ではない。午前中でもない。それでも、あの布団から出られなかった子が、自分のペースで外に向かって歩き始めたのです。そしてそのまま、なんとか中学を卒業しました。

親が「なんとかしなきゃ」と焦っていたその横で、本人はちゃんと、自分の人生を生きようとしていました。

不登校のその後|息子は今、自分のペースで歩いている

「不登校になったら、その後どうなるんだろう」。当時の私が、一番知りたかったことです。だから、その後の息子のことを、正直に書いておきます。

専修学校から通信制高校、短大、そして今

中学を卒業したあと、息子は専修学校に進みました。途中で通信制の高校に転校し、その系列の短大へ進学。今は、アルバイトをしながら職業訓練に通っています。

みんなと同じレールではありません。まっすぐでもありませんでした。何度も、進む先を変えています。それでも息子は、自分のペースで、自分の道を、ちゃんと歩いてきました。

あのとき泣いていた私に、伝えたいこと

あのとき「終わった」と泣いていた自分に、教えてあげたいと思います。終わってなんて、いなかったよ、と。

今の私は、この話を泣かずに話せるようになりました。あの頃は、夜になると泣くしかなかった。でも今は、こうして言葉にできる。それだけの時間を、私も息子も、ちゃんと生きてきたのだと思います。

今、お子さんの不登校で悩んでいるあなたへ

もし今、お子さんのことで、夜ひとりで泣いている方がいたら。

「大丈夫」とは、軽々しくは言えません。私自身が、あの頃その言葉に一番傷ついたから。安請け合いのように「大丈夫」と言われるたびに、この人には分からない、と心を閉ざしていました。

だから私は、大丈夫とは言いません。でも、これだけは伝えたいのです。あなたが今、測っている「普通」の物差しは、本当にお子さんの幸せと同じですか——?

その問いだけ、そっと持ち帰ってもらえたら嬉しいです。あなたは、ひとりではありません。

あわせて読みたい

※このテーマは、YouTubeチャンネル「きなこと心をほどく時間」でも、声だけの放送としてお話ししています。文字で読むより、耳で聞きたい方は、あわせてどうぞ。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次